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海と道 / 熊野・御浜・紀宝・七里御浜

熊野川の石は、海を渡らず浜を旅した

熊野灘の浜には、砂の代わりに丸い石が広がる。山から来た石の旅と、熊野へ向かった人々の旅が、同じ海辺で重なる。

七里御浜を埋める丸い玉砂利と、水平線に光が差す熊野灘。手前には撮影者が置いた小さな恐竜の模型
  • 海風
  • 黒潮

砂ではなく、石を踏む浜

七里御浜に降りると、足の下で石がかさかさと鳴る。砂浜のつもりで来たのに、目の届く先まで丸い小石が広がっている。波の色は青く、浜はまるで石でできた長い道だ。

七里御浜という長い浜の写真には、小さな恐竜の模型が一つ写っている。旅の記録に登場する、ちょっと愉快な一枚だ。その足元の小石を見ているうちに、ふと思う。この石は、いったいどこから来たのだろう。

熊野市から紀宝町へ続く、およそ22キロメートルの砂礫海岸。浜をつくっているのは、長い旅を終えた石たちだった。

川が運び、波が並べた

この石の多くは、紀伊山地からやって来た。山の岩が雨や川に削られ、熊野川を下って海へ出る。そこで波と沿岸の流れに運ばれ、長い海岸に並んだ。

石が動くのは大雨のときや波の強い日だろう。けれども何年も何十年も積み重なれば、浜の長さが変わるほどの旅になる。熊野川の河口から遠い場所ほど、石の粒が細かくなる傾向があるという。

手のひらの丸い石を見ていたら、雨の山、深い谷、流れの速い川、波の荒い海が、順番に思い浮かんだ。山と海は、ここでは一本の石の道でつながっている。

同じ浜を、巡礼者も歩いた

そして、この海辺にはもう一つの旅があった。熊野速玉大社へ向かう熊野参詣の道、七里御浜道だ。

熊野古道と聞くと、森の石畳を思い浮かべる。ところが七里御浜道では、潮風を受けながら海辺を歩いて熊野の社を目指した。山から来た石のそばを、信仰を胸にした人々が通っていった。

石が運ばれた海岸を、人もまた歩いた。同じ場所に、自然の旅と人間の旅が重なっている。

石の旅が止まるとき

ただ、石の旅がいつも同じように続くとは限らない。川から届く土砂が変わり、港の施設が石の移動を遮ることもある。七里御浜では、浜が少しずつやせる場所がある。

浜だけに石を足せば解決する、という単純な話でもない。遠くの山から川、河口、海まで、石の流れる道全体を考える必要がある。

川の仕事が見えなくなると、浜に広がる石も、ただの石に見えてしまう。けれども一つの浜を守るには、山の中まで視線を戻さなければならないのだ。

この浜には、二つの旅がある

七里御浜を歩くと、遠い山から運ばれてきた石の上を、今の私たちが歩いていることになる。

岩を削る雨、石を運ぶ川、浜をつくる波。そこを歩く巡礼者。足元の小さな石から、紀伊半島の山も海も、そして人の歴史も見えてくる。